高野山の総門であり、結界のシンボルでもある。国の重要文化財
開創当時は現在地より少し下った九折谷(つづらおりだに)に一基の鳥居があった。
現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたもので、両脇の金剛力士は江戸時代の仏師康意(阿形像)、法橋運長(吽形像)による大作である。
この大門は、弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業の一環として、解体修理を行い5年3ヵ月を経て、昭和61年(1986)竣工した。
正面桁行21.4メートル、梁間7.9メートル、高さ251メートル。
正面の聯(れん)には「日々ノ影向ヲ闕(かか)サズシテ、処々ノ遺跡ヲ檢知ス」とある。
つまり弘法大師は毎日御廟から姿を現わし、方々を廻って人々を助けるという同行二人の信仰を示している。
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