高野山を守る重要な結界の1つ
中門は大門と同じく、高野山を守る結界の1つとされていた。
大門が高野山一帯を守る総門なのに対し、中門は高野山の中心的浄域である伽藍を結界する重要なもんと位置付けられていました。
大師さんを信仰する多くの参詣者は大門、中門を通り御影堂(生身の大師)にお参りし、その後、奥之院に進み御廟(入定大師)を参拝していた。
中門の歴史
中門の創建された弘仁10年(819)には鳥居状のものであったとされている。
その後、大師入定後の承和14年(847)に実弟の実恵大徳によって大師構想の図記に従い、建立・落慶されたとされる。
幾度となく焼失に遭い、その都度再建されるも、天保14年(1843)焼失以来、礎石を残すのみになっていた。
中門の再建~開創1200年記念大法会記念事業~
天保14年以来、その姿は失われたままであったが、平成27年の高野山開創1200年記念大法会記念事業の一環として、平成27年4月2日に落慶法会が行われ、五間三戸の楼門が現在によみがえった。
再建には中門下層柱として西塔の横で伐採した樹齢374年の桧を使用している。
中門のご本尊
中門は本尊として、四天王を祀っている。
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